本好きのつぶやき

読書に勤しむ大学生の日常

学校教育について考える【広田照幸著:学校はなぜ退屈でなぜ大切なのかより】

2022年読了本シリーズである。
ジャンルが右往左往している点は自分でもなんとかならないかと思っているところだ。


突然だが皆さんはどこで本を購入しているのだろうか。最近はアマゾンで購入する人が増えていて、本屋がなくなってしまうのではと言われているが、私はそんな窮地の書店で購入することが多い。また金欠大学生そのひとでもあるため、書店で良さそうだと思った本を半額くらいでメルカリで購入することもある。(もしかしたらその方が多いかも)
今回は書店の文庫本コーナーで出会った1冊についてである。

 

広田照幸著:学校はなぜ退屈でなぜ大切なのか

 

学校の目的と機能

義務教育制度によって国民は学校に行くことができる。子どもたちは初等教育から中等教育を、学校そしてクラスという単位の中で学ぶ。閉ざされた「学校」という空間の中で、他のコミュニティとの繋がりを断絶しながら、社会性を育んでいくシステムである。
そのようなシステムの中で友達を作ったり、教師という目上の人との関わりを作ったりする中で、立ち振る舞いや役割など様々なことを学ぶことができる。また家以外の「居場所」作りとしても有効だろう。一方そのような社会性を育む中で発生するのがいじめであり、幼い子ども相手にそれがやってはいけないことだと教えることができても実際なくならないのが現実だ。

 

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本書でも言及されていたが、いわゆるブラック校則と言われるものや「夏休みの過ごし方」など学校秩序を保つための過度な規律が多いのではないかと一時期話題になった。世論の変化、時代の変化とも言うべきものの影響もあり、最近は割と髪型や服装に関して過度に禁止する校則は減ってきているとのことだ。一昔前ではそういった多様性を排除し、その中でも「変なやつ」がいじめの対象となることが多かったが、時代の変化がいじめの減少に寄与してくれるかもしれないと微かな期待をしている。

 

学校と言えば平等というイメージが強いが、その実機能としては「選抜・配分機能」を持ち合わせている。学力で順位付けするテストや大学受験もだが、各々の学力に合わせて適切な進路へと配分する。知識社会における現代ではその方が都合がいいほか、当人にとっても負担が少ない。
塾講師のアルバイトをしている中思うが、やはり勉強が苦手な子どもは一定数おり、その子達に苦手なことを強制するのは酷である。しかし学力が伴わなかった結果として、その後の経済的格差が拡大してしまう現実に課題は山積みであるとも思う。

経験格差

AO入試や推薦入試など、学力だけで学生の価値を計らずにもっと他の能力で評価する動きも近年は加速している。日本式の大学入試共通テストや新卒一括採用などが欧米と比べて非難されているのをよく見かけるが、仮に学力以外の物差しを主に使うようになれば、そこに現れるのは明確な経験格差であろう。
これは学力にも当てはまることではあるが、裕福な親の元に生まれた子どもは他の子よりも入試や面接でアピールできる経験を積むことができる。アメリカはその傾向が強まっていて、ある種「親ガチャ」のような問題が叫ばれる事態になっているという。

 

教育分野は課題が山積みであるが、それくらい社会にとって重要なのは間違いない。目指すべき教育制度や学校教育の在り方を考えることは、社会をよりよくする人材を作り出す観点からしても、その第一歩であると言えるだろう。

 

 

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