本好きのつぶやき

読書に勤しむ大学生の日常

SNS風紀委員長はやりすぎている

最近ツイッターを眺めていると、おすすめ欄のツイートにどこからか拾ってきた炎上ネタが投稿されているのを見かける。最近の例だとスシローの件や東日本大震災の被災者に向けて不適切な発言をしたとされるものなどである。

SNSは世界中の不特定多数の人々と場所という制約を越えて、つながりを持つことができる革新的ツールである。現代ではネット上に居場所を見いだす若者も増えているらしく、その関係性やコミュニティ自体が不健全であるとか、現実での関係性よりも劣ったものであるといった言説は誤っていると思うが、今回はその話ではなく。

 

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先ほどの例のような自由なつながりやインターネットというオープンな場所へのアクセスが可能になったことがもたらしたのはメリットばかりではないと強く思うようになった。このようなツールが存在しなかった時代に比べ、犯罪行為やちょっとしたいたずらまがいのような行為が個人のコミュニティを越え、あっという間に全世界へと発信されてしまう現代では、SNS使用者はもちろんのこと社会全体がいわゆる「晒し」を意識せざるを得なくなった。

今の時代例えば何か犯罪行為に出くわして、その状況を解決するための一手段として「SNSに晒すこと」を選択している人が増えたように感じる。もちろん犯罪行為を行った者は適切に処罰されるべきであり、被害者に落ち度はない。
問題は手軽に投稿できるSNSの利便性と共感が、当事者ではない個人による断罪を加速させてしまっている点である。

 

ツイッターでよく見かけるが「ツイッター警察」と呼ばれている人々による断罪で、炎上行為を起こした人物の住所や顔写真といった個人情報の晒し上げがある。またそこまで過激とはならずとも、リプ欄で誹謗中傷のコメントを投げかけるような人々もいる。
インターネットは自由であるから、規則の範疇である限り何をしても良い。

まるでネット版風紀委員長のような人々が行うこれらの行為は、依然として少々エスカレートしている感が否めない。晒し上げられた犯罪者が法に則った刑罰を受けるのはもちろんのことであるが、それ以上の誹謗中傷のコメントを受け付けたり、デジタルタトゥーを残すこと、あるいは親族や近い人物にまで影響が及ぶのはおかしい。
なんならもう立場が逆転しているまである。

 

「正義のためだ」というお題目を掲げて過剰な攻撃を続ける人々には、その正義を振りかざして不用意に他人の人生をめちゃくちゃにしていることを自覚しているだろうか。日頃の鬱憤晴らしとして袋叩きにしてるのではないだろうか。結局そういうことを行うことで社会がさらに生きづらくなり、回り回って苦労をする羽目になるのは結局そういった人々である。

 

もし仮に今のような炎上袋叩きを是としようものなら、今後生まれるのは炎上ネタが投稿されれば、当事者でもない人々が断罪し正義感に浸り次の餌を探し求め、また炎上を起こすという地獄のような悪循環である。この流れが最終的に行き着くのは、極度に凝り固まった相互監視社会であり、なんとまあ生きづらい世の中だろう。

 

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