本好きのつぶやき

読書に勤しむ大学生の日常

若者で流行するVLOGとは

たしかVLOGというコンテンツが流行りだしたのもコロナ禍に入ってからのような感じがする。当時大学の授業もなく家で引きこもっていた自分にとって、おしゃれな部屋で家にいながらも生活を楽しむVLOGerはとても魅力的に映っていて、いつしかチャンネル登録ボタンを押していた。

 

 

なぜVLOG

VLOGの語源はBLOGだろう。VIDEOーLOGという感じでYouTubeを中心に現代ではコンテンツのひとつとなっている。
VLOGが流行った要因として、そもそも動画コンテンツが勃興してきたことが挙げられる。巣ごもりのコロナ禍はさらにそれを加速させ、活字が苦手と言われる現代人のニーズにマッチしたコンテンツとなった。(活字ブログのこの先は果たして、、、)


ちなみにVLOG以前にも大食い動画や旅行動画など、様々な疑似体験コンテンツは存在していて、VLOGはライフスタイルを疑似体験する・エンタメとして楽しむといったところだろうか。

 

k-tai.watch.impress.co.jp

 

ライフスタイルへの憧れ

特に若者はInstagramにてファッションモデルやインフルエンサーの生活、ファッションなどを目にする機会が多い。ファッションは特に、好きなインフルエンサーの着用するものを真似すれば済んでしまうが、VLOGの場合はモノに対する憧れではなく「ライフスタイル」そのものへの憧れである。

そのため、VLOGerはめちゃくちゃ有名人が投稿するコンテンツというより、私たちと同じような一般人であることが多い。若干の親近感があることや少し頑張れば真似できそうといった感じも若者に刺さっているのだろう。

ちなみにVLOGを覗いてみるとその中身も多種多様で面白い。大半はすごくきれいでおしゃれな部屋で、女子大学生やOLさんなどが料理したり、ゆるめのライフスタイルを紹介するものが多いのだが、中にはバリバリの社会人が筋トレするものや逆にズボラな大学生の日常を眺めるものもある。(私がよく見ているものは後々紹介させていただく)

モノ消費よりコト消費の時代と言われるが、まさにそれを象徴するのがVLOGであり、SNSを眺めてだらだらと1日を過ごしてしまいがちな現代人の「脱却したい!!!」という深層心理の現れなのかもしれない。

同様の記事があったので紹介させていただく。

 

note.com

 

私的おすすめVLOG

Oki'svlog

初期から大ファン

Okisvlog - YouTube

 

私がコロナ禍にて、家でだらだらと過ごしていた時に出会ったVLOGである。彼女は現役大学生で当時の動画からおしゃれで勉強好きのライフスタイルを動画で発信していた。こんな感じの大学生活を送りたい!と思った大学生も多いと思う。今では自身のブランドも展開していて、多才な一面も見せてくれる。雰囲気がめっちゃ好きで大ファンである。

 

 

もりおルーティン

モチベーション上がる

もりおるーてぃん - YouTube

 

こちらは社会人男性のVLOGで、特に活力とかモチベーションを高めたいという人におすすめだ。とんでもなくストイックな日々を送っていて真似できそうにないが、たまに人間なんだなと思わせてくれるような一面もあって面白い。見ていて勉強や仕事に対するモチベーションはすごく上がってくるし、目標に向けて努力する姿がかっこいいと思わせてくれるVLOGである。

 

ぜひ皆さんのおすすめVLOGがあったら教えて欲しい。

 

 

odasakukun.hatenablog.com

 

 

分断のはじまり①【橘玲著:上級国民/下級国民】

「上級国民」というワードは2019年春に飯塚幸三という男が起こした事件にて一躍流行した言葉である。ニュアンス的には元官僚で勲章持ちの人間は、権力によって罪さえも揉み消すことができてしまうのだという使われ方だった。まさにその流行語大賞にもノミネートされたことに関連して出版されたのが、今回紹介する1冊である。

 

 

日本経済停滞

序章は経済的な視点で話が進む。平成で起きたこととしてデータが示すのは「日本がどんどん貧乏くさくなった」ということだった。1人あたりGDPは2001年(世界2位)→2018年(世界26位)と、すっかり落ちぶれてしまった。しかしこのことは様々なメディアで叫ばれていることだし、承知の方が大半だろう。


筆者が注目したのは労働市場。1980年から2000年代にかけて正社員の割合はどうなったのか。ちなみに、この期間に日本はバブル前夜→バブル期→バブル崩壊を経験することとなる。実際のところ、正社員の比率は就業者全体で見ると一定をキープしており、小泉政治によるネオリベ改革・バブル崩壊によるリストラの影響は思いのほかなかったのでは?と思えてしまうデータだ。しかし見逃してはいけないのが非正規雇用者の増加割合である。非正規雇用の割合は1982年の4%から2007年の12%へと約3倍となっていたのだ。


正規雇用の増加

なぜ非正規雇用者の割合が増大したのか。その中でも最も大きな要因は14%も占めていた自営業者が7%に減少したことであると筆者は分析する。半数にも減った元自営業者達が非正規雇用に流れていったのではないか。確かに当時倒産した自営業者として、就職難の中非正規雇用しか選択肢がなかったのは容易に想像がつく。しかもバブル前期の日本における自営業者は先進国の中でも突出していただけあって、彼らの働き口が非正規に流れてしまったことは自然な流れである。実際当時は農業や飲食・町工場など自営の仕事が次々に廃業し、正規・非正規の会社員が増えていったのだろう。

 

雇用破壊が起きた場所

俗に言われていた「雇用破壊により正社員が減少し、非正規雇用者が増えた」とは一体どこで起きたのか。まさにそれは20代の若い男性の中で起きたのが真実だという。つまり平成日本における労働市場において、とりわけ若者の男性の雇用を破壊することで、中高年(団塊の世代)の雇用が守られたというわけだ。このときにあふれ出た若者が現代社会で大きな問題となっている引きこもりやNEET、また就職氷河期世代を経験したと言われる人々だ。確かにデータを基に考えればこの結論以外あり得ないと言わざるを得ない。

社員を守るという日本的会社経営は一見良さそうに見えるが、やはり既得権や保守層以外へのダメージが相当大きいシステムであると改めて感じる。
また、バブル崩壊後バブル期に採用した大量の雇用をどうするかといった問題もあったようだ。日本的経営において、一度雇用した正社員はよほどのことがない限り、解雇することができない。これが伝統的な労働市場流動性を阻害する要因と呼べるが、さらにこのシステムがもたらすのは大規模な人件費の削減である。給料上がらない問題の布石はすでにこのときから撒かれていたのである。

 

日本経済低迷の理由

筆者はさらに日本の労働市場流動性の低さこそ、経済低迷に寄与しているのではないかと述べる。この流動性が低いと給料が高く待遇が良い同業他社へ転職が難しくなる。たまたま入った新卒でしばらくの給料が確定してしまったり、その会社の業績がどうなるかもわからない、いわば運任せ就職になってしまう可能性もあると指摘する。

このように日本的会社経営の負の側面を述べてきたが、このシステムはしばしばアメリカと比較される。すぐにでもクビを切られるアメリカと比べれば日本の方がマシだという意見もあるだろうが、長期的な目線を持ったとき、その後の経済発展の可能性を加味すればどちらを選ぶかと言われればアメリカ型であろう。日本も今後は労働市場流動性がIT推進や働き方の変容によって、徐々にアメリカ型に変容していく兆しが見えてきている。

 

分断はこのように始まった(感想)

バブル期の経済動乱から、日本式経営システムの負の側面が露わになった。また非正規雇用者の増加はその後世代の大きな経済格差を作り出す一因となり、いわゆる上級国民と下級国民という大きな分断が起きるきっかけは、ずっと前に存在していたことを実感した。

現代社会における問題はこの分断だけでなく、言及した上級国民もまた貧しくなっていること。沈みかけている船の椅子取り合戦となっている現状の日本経済では、分断よりかは経済を上向かせるための方策(労働市場流動性向上や日本的経営からの部分的脱却)を進めていく必要がある。改めて本著はなかなかキャッチーなタイトルで、その実目にしたくない現実を突きつけるような内容だった。

 

 

 

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地震雲とか人工地震とか

今朝関東を震源とする地震が発生し、朝方からパニックになった人も多いのではないだろうか。私は関東在住ではないので地震速報で目を覚ますことはなかったが、ツイッターのトレンド欄はそれ関連のキーワードでいっぱいだった。

 

地震は恐ろしい災害で、いつ何時でも対策を怠るべきではないという前提に立っての意見だが、地震が起きたときのツイッターはカオスで面白い。
特に地震雲や人工地震と行った陰謀論や都市伝説とされるようなツイートで溢れかえるからだ。そこで今日はひまだったので、私たちの興味関心を度々引き出すこれらの言説について調べてみた。

geosociety.jp

 

www.zisin.jp

 

地震雲

そもそも雲とは大気中で水蒸気が凝固し、水滴や氷晶になったものがある程度の集団となったときに形となって上空に現れるものである。
雲の形をもって、その後の天気を予想することは古来から行われてきたことであり、私もうろこ雲が出たら雨に気をつけろと習ったものだ。日本でも地震雲について研究をしていた学者も実際に存在するようで、その研究に追随する者もいるという。

 

地震雲のタイプとしてよくツイッターで見かけるのは、どれも晴れた空に一筋の太い帯状の雲」というもので、実は論文でも書かれている形だ。(論文の信憑性は不明)

 

正直この飛行機雲にも見えるこの雲の形は、観察者が地震雲だと思えばそうであるし、そう思わなければただの細長い雲である。しばしば見る形ではないが、私も見たことがある雲だ。


現代科学において地震と雲の関係は未だに解明されていないが、私の個人的見解としては関係はほぼないのではないかと思う。特にSNSが発達したこの時代において、容易に個々人が雲の写真を全国津々浦々からアップロード可能になり、それも地震が起きたリアルタイムに行うことができる。これによりなんらかの雲と地震の因果関係があるようにタイムラインを見て思ってしまうことは仕方のないことだろう。何せ理由がない出来事というのはとても怖いものだからだ。出来事に対する理由や原因を求めてしまうが故に起きる心理的錯覚やバイアスと現代科学によって引き起こされるのが、一連の地震雲騒動なのではないか。

 

しかし調べてみてびっくりしたのだが、思いのほか多く地震雲に関する論文や書籍が出版されていた。ぜひ興味があったら読んでみて感想を教えて欲しい。
ひまだったら人工地震の方も調べてみようと思う。

 

 

 

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mRNAワクチンとは?①【中村祐輔著:ゲノムに聞け】

2019年のコロナショックから現在、外出規制やマスク規制など対策もだいぶ緩和されてきた。思えば長い間コロナウイルスと付き合ってきたなあという感覚である。


そこで割と今更ではあるが、改めて新型コロナウイルスおよびmRNAワクチンについておさらいをしてみたいと思う。パンデミックは次またいつ発生するかわからないし、その際玉石混合の情報渦から、いかに正しいものを選び取るかが重要だ。そのためにも我々が体験したパンデミックの元凶とその対抗策としてのワクチンを学び直そう。

 

ウイルスとDNA・RNA

そもそもウイルスとは無生物である。生物の定義は自ら細胞を持ち、代謝を行い、自己複製することでありウイルスはこれらに当てはまらないのだ。生物(宿主)の身体に侵入し、その中の細胞に入り込むことで初めて、ウイルスは自己複製をすることができる。

 

またウイルスにはDNA型ウイルスとRNA型ウイルスの2種類があるということだ。中学校の理科で習った内容のおさらいだが、DNAとRNA塩基配列の違いで、DNAは大本の設計図。それを部分的にコピーしたのがRNAであり、これらは私たちの身体の中でも日々たんぱく質合成をするにあたって重要な役割を果たしている。

 

ちなみにこのたんぱく質合成がどれくらい重要かと言うと、私たちの細胞を構成する材料や酵素抗体など免疫機構の成分ともなるたんぱく質を合成している。つまりたんぱく質を日々摂取することはもちろん、それを合成するはたらきは生命活動に直結していると言える。

 

RNAって何

RNAとはメッセンジャーRNAの略である。メッセンジャーという名前の通り、mRNAはDNAからたんぱく質の設計図を転写し、翻訳する役割を持つ。


基本的にDNA→RNAの場合ミスコピーはほとんどない。しかし、RNARNAの場合ミスが起こりやすい。このミスによって発生するのががん細胞だったりするのだが、ここでは割愛。


つまり、RNA型ウイルス(新型コロナウイルス)が変異を起こすのはこのミスコピーが関わっている。

 

新型コロナウイルスのすべて

Q.コロナウイルスの名称はどこから?
A.コロナウイルスは表面に多くの突起(スパイクたんぱく質)があり、太陽に見えることからコロナと名付けられた。

 

このスパイクたんぱく質というワードは、ニュースでよく見かけていた人も多いのではないだろうか。

 

よく見た写真

ちなみに新型コロナウイルスはインフルエンザの20倍の致死率があると言われており、特に高齢者の場合致死率はさらに上がるとされている。
このように重症化するケースが多かったのは、ウイルスによる炎症反応が原因だ。この反応により血小板が凝固し血栓ができる。それによって脳梗塞心筋梗塞を引き起こすケースに発展するのだ。また、肺機能が低下する事例も多くあったが、それも同じく肺における炎症反応の結果である。

www.covid19-jma-medical-expert-meeting.jp

 

大半の症状は激しい炎症反応=過剰な免疫反応とも言えそうだが、免疫機構が衰えた高齢者の重症化リスクが高いため他の要因も大きいかもしれない。
今日はこの辺で。

 

 

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コンセプト「旅」のGW

人間は「人」「旅」「本」から学ぶ。という格言をどこかで目にしたことがあり、確かにその通りだなあと思っている。自分はこの三要素の中で「本」の占める割合が多くなりがちだ。(多分6割くらい本)
理由は明白で好きだからであり、逆にお金がかかりアクティブに移動するのが苦手なため、「旅」はおろそかにしがちだ。そう思い、GW中はほぼ全日旅をすることに決め、つい今しがた自宅へと生還したのである。

 

全身筋肉痛

 

全然ブログ更新できなかった

直近のお話だが、就職活動が終わり暇な時間が増えた。大体は本を読んで過ごしていることが多く、友人と飲み会や旅行に行く機会が作れていなかった。そんな懸念もあり、GW前は地元の友人とお酒を飲んでおしゃべりをしたり、カラオケに突っ込んだりしていた。(なお下戸である)

その流れでコンセプト「旅」のGWに突入したため、全くと言っていいほどブログの更新がなかった。それもそのはず読書を軸に定めてつぶやいてるブログのため、読書がない時間で何を発信すればよいかわからなかった、という言い訳である。ブログを継続的に更新するブロガーの人々の能力は計り知れないと悟った。これからもぼちぼち更新してペースを取り戻していこうと思う。

 

旅について

GW中は温泉や関東の有名な観光スポットに足を運んだ。とにかくめちゃくちゃ混んでいて、人だかりに酔ってしまうほどだった。WHOがコロナウイルス終息宣言を発したように、コロナに対する危機感から解放され、以前のような観光を取り戻したようなGWだったと思う。私が行った温泉では、その地区の商店街や観光名所に連なる飲食店などが軒並み潰れてしまっていて、観光地復活まではまだ時間がかかりそうではあるが、インバウンド産業がこれから勃興していく波に乗って、活気ある温泉街を取り戻して欲しい。

 

旅の良いところは実体験できることだ。自分の目で見て観察し、耳や肌で感じ取る。そんな感じで自分事の体験ができる。自分事化した体験というのはより強く記憶に残るし、何より達成感がある。これは読書や人の話を聞いているだけではなし得ない体験であり、「学ぶ」という行為において最も積極性・主体性がある手段であると思う。ネックはお金がかかるということ。
しかしながら旅は若いうちにした方がいいと言うように、お金がなくとも体力がある今でこそすべきだと改めて感じた。ライフスタイルにおいても学びの適正な手段は変化していくものだろうし、身体を酷使できるうちに酷使するのもまた体験だ。

 

そんなこんなで旅の魅力は、文字情報以外の膨大な情報を受け取ることができる、つまりは全身で体感できることにある。それもまた自分という主体を強く意識しながらインプットができるので、記憶にも残りやすい。旅人に不思議な魅力を感じるのは、何か言語化できないような情報を持ち得ているからであり、その人にのみある感性が磨かれてるからのような気がする。あまり得意ではないが残りの大学生活中、楽しい「旅」を欠かさずに過ごしていきたい。

今後の学校教育についてふわっとした持論

正直、現行の日本における教育制度やその在り方については課題が山積みであり、今に始まった話ではないと思う。新しい風を呼び込むのがとことん苦手なこの国において、「人を育てる」教育こそ改革するにあたり、最初に着手すべき分野だと思う。

 

センター試験はボロボロでした

 

センター試験が廃止され、やっとのこと大学入試共通テストというものが始まった。まだまだ教科によっては問題があるようだが改革は改革である。
塾講師のアルバイトをしている身として実際に解いてみたら、内容は以前のセンター試験より格段に難しくなった印象だ。特に長ーい文章から問題をくみ取り、誘導なしにロジックを自ら組み立て、記述し問題を解いてくプロセスが重要視されているのがわかった。出来としてはとても良いテストだと思う。これから更に改善されていけば、暗記メインだった教科や文系の科目もさらなる思考力を問う内容に変わっていくだろう。(後輩達にはがんばれ!とエールを送っておく)

しかしゴールとなるテストを変えれば、教育も変わるだろうというのは安直な気もする。カリキュラムは依然そのままだし、なにより改革を急がなくてはいけない理由がでてきた。お騒がせのChatGPTである。
GPTくんは難関大学の入試を突破できてしまうくらい優秀である。そんなに優秀ならAIに負けるだとか、あるいは支配されるなんてデマが出回っても不思議ではないだろう。事実、情報の暗記やアウトプットの分野で人間は圧倒的に負けており、そこでGPTくんVS学生をやっていても何万年経っても勝てやしないのだ。

 

じゃあどうするのかというと、教育を変えるしかない。
それもAIとは異なるフィールドで、人間にしか司れない思考で勝負を挑むのである。(そもそも戦う必要はないとは思うが)
国語数学理科社会など、基盤教育はもちろん残すべきである。これらは思考するに当たっての土台であり、この世界を知るための知識が凝縮されている。しかしすべてを知るのは困難であり、今の時代GPTくんに聞けばなんでも答えてくれる。そこへリーチできる知識は必要だが、洗練されたものはそぎ落としても良い気がする(二次関数の応用や古典の授業など)

 

その代わりに必要なのは、紛れもない哲学であると思う。
身の回りの事象や疑問に思ったこと、あるいは腹が立ったことなどに自発的に問いを立て、「なぜ」なのかを徹底的に追求する。まさに大学で学ぶようなことを義務教育カリキュラムに取り入れるのだ。この際に育まれるのは物事に対して課題を持つ視点、さらにはそのなぜを追求するためのリサーチ力である。まさにここでGPTくんの出番である。情報は自ら興味関心を持ち、主体的に調べ発見するからこそ意味がある。いつまでも受動的な授業ばかりしていれば、それはもちろん退屈で寝てしまう生徒が出るのも当然だし、大学に行くのに何も興味がない現象はこの「受動性」に原因があると思う。

 

自ら学ぶ姿勢で勉強の楽しさを取り戻すとともに、AIとの役割をはっきりと区別していくべきである。今の時代はそんな教育が必要だ。

 

 

 

 

 

 

言葉に出ないのは考えてないからか?【武田砂鉄著:わかりやすさの罪より】

バチバチの回である。
何がバチバチかと言うと、おそらく「言葉」そのものに対する考え方や向き合い方の違いによるものだろう。今回はそんなバチバチな2冊の本を紹介し、感想を述べていきたい。

 

言葉は思考の上澄みにすぎない

「言葉にできるは武器になる」は有名な広告会社で伝説的コピーライターとされた人が書いた書籍である。
彼の主張は至ってシンプルで、「考えてなきゃ、言葉にできるわけないだろ」というものだ。彼曰く、無意識の元で存在する内なる言葉を意識することが必要で、これは微細な感覚や感想みたいな言語されていないものを捉えることであるという。
感覚的な話になるが、とりあえず「思考を深める訓練」をすることで、言葉にも深みや説得力が出てくるとのことだ。

 

主張は一貫してコピーライターらしいというか、自分の中で日々思慮を巡らせ、物事に対する考えを持っておくことでそれをアウトプットしたりアイデアに変換できるのだということを言いたいのだろう。その訓練を繰り返すことで「内なる言葉」という概念に耳を傾けることができるといった感じか。内容的にビジネスマン向けだろうと思う。

 

一方、「わかりやすさの罪」。こちらはライターが書いた書籍で、言葉に対するこだわりや姿勢が垣間見える1冊だ。著書内では「言葉にできるは武器になる」を痛烈に否定している。

 

言葉にできないこともある

「言葉にできるは武器になる」視点だと、「言葉にできないってことは考えていない」はおかしい。考えているから言葉になるわけではないという主張だ。
頭の中では言葉にできることと言葉にできないことが確実に存在していて、それらはぐちゃぐちゃに混在している。その中から言葉として表現することこそ「言葉にする」工程であると。確かに映画を見たときの感情やふと感じたことなど、言葉にできない感覚は確かにあるなと思う。
言葉に達しない感情をそぎ落とすことはできないと述べているように、著者はライターという仕事柄から記事を書く際に直線的なアウトプットよりかは偶然性や意外性など、言葉がもつ特性を活かしたライティングを心がけているのだろう。

 

感想

どちらの主張も面白いものだった。私の感覚ではやはり、言葉にするという行為に考えるはつきものであると思っている。もちろん両著者もそこは否定していないだろう。
こうやって何か記事を書く際や何かアイデアを生み出すときも、普段から身の回りのことに対してアンテナを張り、何かしらの思考を巡らせる必要はあると思っている。しかし問題はその工程があまりに直線的になってしまうと、言葉の持つ偶然性や跳躍力などを見逃してしまう可能性があるということ。

 

「伝えたい内容を伝えるべき相手に届けるための言葉」は、ビジネスにおいて重宝されるがそれだけになってしまっては、あまりに無機質的で面白みがない。ビジネスシーンでの言葉の使い方が日常生活に侵食してしまいがちな人は特に注意すべきことだと思う。ロジカルシンキングやわかりやすさが褒め称えられる現代において、言葉への向き合い方を考えさせられる2冊だった。

 

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