本好きのつぶやき

読書に勤しむ大学生の日常

SNS(比較)が趣味の継続を妨げる可能性

就活が若干忙しくなってきたため投稿頻度がまばらになってしまった。継続することはどんなことであっても難しいんだなとつくづく思う。こんな感じで何かやらなくちゃいけないことが山積みになったときに趣味の時間を作るのは難しい。
でも毎日毎月忙しいわけではなく、土日はしっかりあるし仕事や学校が終われば家に帰ってゆっくりできる。趣味に取りかかろうとしたそんなとき、SNSが立ちはだかる。ここで言及したいのは、SNSの持つ最強の暇つぶしツールとしての側面ではない。そこではなく、どこにいるかもわからない他者との比較が容易にできてしまう残酷さの方である。

 

 

上位互換

SNSを見ればいつだってリアルタイムで他人の情報に触れられる。それがつぶやきだったり写真だったりするわけだが、当然自分と趣味が合う投稿も見つけることができるだろう。大半はその投稿に共感したり、すごいと思ったりしていいねを押すだろう。
「趣味」にフォーカスしたとき、大事なのは何か。それは続けることだ。それも心からの興味関心を持って、特に理由もなく、他の人からしょうもないと言われながらも続けるだけの情熱を持ち合わせていることでもある。しかしこの情熱の炎がいとも簡単に吹き飛んでしまうこともある。それは自分よりもずっとすごい人を見たときだ。

 

趣味の始めるきっかけが例えばもの凄く上手いギター演奏をみたとか、旅行をしている動画に感化されたとかであれば、それはそれでいいと思う。きっかけ作りになっているし、自分もそんな風になりたい!とかしてみたい!なんて欲求は大切だ。
しかしいざ始めてみて、思っていたほどの楽しみが得られなかったり、取り組みはじめあるあるの物足りなさを感じることはある。これは仕方のないことだが、趣味がそのステージから続かない現代人の要因のひとつとして、「他人と比べすぎ」というのがあるのではないだろうか。


簡単に「自分のやっていること」の上位互換的存在を目にすることができる現代ではむしろ感化されるどころか、全然自分はできないじゃないかという弱気な気持ちを誘発してしまっているところがあると思う。趣味の世界に断じて比較や競争を持ち込むべきではない。そうしてしまうと趣味にも理由が必要になるし、何より上には上がいる。
まあでもSNSのきっかけ作りの側面が与えるメリットは負の側面よりもずっと大きい気はする。

 

目的と手段の逆転

しかしよく目にするインスタ映えの問題は深刻だろうと思う。インスタで承認欲求を得るために料理を注文したりだとか、いいねをもらうために行動を起こすなんてこともその類いである。趣味は自己完結するから自らの楽しみになり、より没頭できるものだ。そこに他者の評価(みんなは自分が思うほど評価していない)が介在してしまえば、自分の幸せすら他人に委ねてしまっているようなものである。自分の楽しみは自分で作り出すものだ。趣味に没頭した結果、他人と繋がることもあるし楽しみを分かち合うことができるのだ。そこで得られる承認の方がはるかに健全なものと言える。
今日は疲れたのでここら辺で。

 

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