本好きのつぶやき

読書に勤しむ大学生の日常

論理的とは何か

しばしば論理的思考力が重要だと言われる。学校教育では数学の勉強をするときによく聞いた言葉で、今ではメールで見かける就活評価基準の言葉である。
結論から述べて次はその根拠。そこから例示をしていくスタイルは英語圏で使われるエッセイの書き方そのものである。大学の英語講義で実際にエッセイを書く機会があったが、慣れない文章の型を使って論証するのは難しかった記憶がある。

 

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エッセイの型

アメリカ型(英語圏)のエッセイを書いている中で思ったのは、主張にとにかく一貫性がなければならないことである。結論が最初に来るため、目標から逆算してその過程と方法論を述べていく感じだ。今現在就活をする中で最も目にする文章形式がこのアメリカ型で、少ない字数で要領よく情報を伝えるには最適の形なんだろうなと思う。
またビジネスでよしとされる形もこのアメリカ型であろう。簡潔で分かりやすい情報共有に適しているアメリカ型の形式を、学生時代からみっちり使う合衆国の学生たちの思考体系がビジネス向きになるのも納得の感じがする。
英語という言語体系事態にそもそも直球的な表現が使われていて、それが国民性に影響していることもあるだろうが、このエッセイの型も思考する上の土台となっていることは間違いない。

 

ここまでアメリカ型について述べてきたが、私が危惧しているのはビジネスでのアメリカ的論法に慣れすぎて、日常生活で日本語的な表現に対して批判的な姿勢になってしまうことだ。言語を知れば国民性が分かると言うが、なんだかんだ日本語の回りくどい表現にも愛着がある。
結論を最初に言わず、寄り道しながら話し込んでいるうちに言いたいことはなんだっけ?となったり、最初に言おうとしていた内容から突拍子もなく飛躍していることもある。日本型の小論文では主張を最初に明確化するような決まりがないため、回りくどい構成になってしまうこともあるが、これもひとつの論理の型と言えるのではないだろうか。論理的=アメリカ的論証法というイメ―ジをどうしてもしがちだが、日本以外にも海外には様々な言語や論理の型がある。その中でもビジネスや数学などの一貫性が求められる分野では適性があるだけの話だ。

 

synodos.jp

 

面白い記事を見つけたのでぜひご覧になっていただきたいが、フランスの論理の型であるディセルタルシオンについて述べられていて、論理の既成概念をとっぱらうような内容だった。
この記事も何を言いたいんだかよくわからない構成になってしまったが、それでいいと思っている。なんだかよくわからないが言わんとしていることは理解できるくらいの感想を持っていただければ、当ブログの知的好奇心をくすぐるというコンセプトを達成できたのではないか?と信じたい。
つぶやきは毎日投稿を心掛けようと思う。

 

odasakukun.hatenablog.com