本好きのつぶやき

読書に勤しむ大学生の日常

言葉に出ないのは考えてないからか?【武田砂鉄著:わかりやすさの罪より】

バチバチの回である。
何がバチバチかと言うと、おそらく「言葉」そのものに対する考え方や向き合い方の違いによるものだろう。今回はそんなバチバチな2冊の本を紹介し、感想を述べていきたい。

 

言葉は思考の上澄みにすぎない

「言葉にできるは武器になる」は有名な広告会社で伝説的コピーライターとされた人が書いた書籍である。
彼の主張は至ってシンプルで、「考えてなきゃ、言葉にできるわけないだろ」というものだ。彼曰く、無意識の元で存在する内なる言葉を意識することが必要で、これは微細な感覚や感想みたいな言語されていないものを捉えることであるという。
感覚的な話になるが、とりあえず「思考を深める訓練」をすることで、言葉にも深みや説得力が出てくるとのことだ。

 

主張は一貫してコピーライターらしいというか、自分の中で日々思慮を巡らせ、物事に対する考えを持っておくことでそれをアウトプットしたりアイデアに変換できるのだということを言いたいのだろう。その訓練を繰り返すことで「内なる言葉」という概念に耳を傾けることができるといった感じか。内容的にビジネスマン向けだろうと思う。

 

一方、「わかりやすさの罪」。こちらはライターが書いた書籍で、言葉に対するこだわりや姿勢が垣間見える1冊だ。著書内では「言葉にできるは武器になる」を痛烈に否定している。

 

言葉にできないこともある

「言葉にできるは武器になる」視点だと、「言葉にできないってことは考えていない」はおかしい。考えているから言葉になるわけではないという主張だ。
頭の中では言葉にできることと言葉にできないことが確実に存在していて、それらはぐちゃぐちゃに混在している。その中から言葉として表現することこそ「言葉にする」工程であると。確かに映画を見たときの感情やふと感じたことなど、言葉にできない感覚は確かにあるなと思う。
言葉に達しない感情をそぎ落とすことはできないと述べているように、著者はライターという仕事柄から記事を書く際に直線的なアウトプットよりかは偶然性や意外性など、言葉がもつ特性を活かしたライティングを心がけているのだろう。

 

感想

どちらの主張も面白いものだった。私の感覚ではやはり、言葉にするという行為に考えるはつきものであると思っている。もちろん両著者もそこは否定していないだろう。
こうやって何か記事を書く際や何かアイデアを生み出すときも、普段から身の回りのことに対してアンテナを張り、何かしらの思考を巡らせる必要はあると思っている。しかし問題はその工程があまりに直線的になってしまうと、言葉の持つ偶然性や跳躍力などを見逃してしまう可能性があるということ。

 

「伝えたい内容を伝えるべき相手に届けるための言葉」は、ビジネスにおいて重宝されるがそれだけになってしまっては、あまりに無機質的で面白みがない。ビジネスシーンでの言葉の使い方が日常生活に侵食してしまいがちな人は特に注意すべきことだと思う。ロジカルシンキングやわかりやすさが褒め称えられる現代において、言葉への向き合い方を考えさせられる2冊だった。

 

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