本好きのつぶやき

読書に勤しむ大学生の日常

今後の学校教育についてふわっとした持論

正直、現行の日本における教育制度やその在り方については課題が山積みであり、今に始まった話ではないと思う。新しい風を呼び込むのがとことん苦手なこの国において、「人を育てる」教育こそ改革するにあたり、最初に着手すべき分野だと思う。

 

センター試験はボロボロでした

 

センター試験が廃止され、やっとのこと大学入試共通テストというものが始まった。まだまだ教科によっては問題があるようだが改革は改革である。
塾講師のアルバイトをしている身として実際に解いてみたら、内容は以前のセンター試験より格段に難しくなった印象だ。特に長ーい文章から問題をくみ取り、誘導なしにロジックを自ら組み立て、記述し問題を解いてくプロセスが重要視されているのがわかった。出来としてはとても良いテストだと思う。これから更に改善されていけば、暗記メインだった教科や文系の科目もさらなる思考力を問う内容に変わっていくだろう。(後輩達にはがんばれ!とエールを送っておく)

しかしゴールとなるテストを変えれば、教育も変わるだろうというのは安直な気もする。カリキュラムは依然そのままだし、なにより改革を急がなくてはいけない理由がでてきた。お騒がせのChatGPTである。
GPTくんは難関大学の入試を突破できてしまうくらい優秀である。そんなに優秀ならAIに負けるだとか、あるいは支配されるなんてデマが出回っても不思議ではないだろう。事実、情報の暗記やアウトプットの分野で人間は圧倒的に負けており、そこでGPTくんVS学生をやっていても何万年経っても勝てやしないのだ。

 

じゃあどうするのかというと、教育を変えるしかない。
それもAIとは異なるフィールドで、人間にしか司れない思考で勝負を挑むのである。(そもそも戦う必要はないとは思うが)
国語数学理科社会など、基盤教育はもちろん残すべきである。これらは思考するに当たっての土台であり、この世界を知るための知識が凝縮されている。しかしすべてを知るのは困難であり、今の時代GPTくんに聞けばなんでも答えてくれる。そこへリーチできる知識は必要だが、洗練されたものはそぎ落としても良い気がする(二次関数の応用や古典の授業など)

 

その代わりに必要なのは、紛れもない哲学であると思う。
身の回りの事象や疑問に思ったこと、あるいは腹が立ったことなどに自発的に問いを立て、「なぜ」なのかを徹底的に追求する。まさに大学で学ぶようなことを義務教育カリキュラムに取り入れるのだ。この際に育まれるのは物事に対して課題を持つ視点、さらにはそのなぜを追求するためのリサーチ力である。まさにここでGPTくんの出番である。情報は自ら興味関心を持ち、主体的に調べ発見するからこそ意味がある。いつまでも受動的な授業ばかりしていれば、それはもちろん退屈で寝てしまう生徒が出るのも当然だし、大学に行くのに何も興味がない現象はこの「受動性」に原因があると思う。

 

自ら学ぶ姿勢で勉強の楽しさを取り戻すとともに、AIとの役割をはっきりと区別していくべきである。今の時代はそんな教育が必要だ。