本好きのつぶやき

読書に勤しむ大学生の日常

夜という時間

ぼそっとつぶやきです。

昔から夜というのは不思議な時間に感じていた。太陽照りつける昼間とは全く違った感覚になり、どことなく寂しさや不安感に駆られ、頭がくらくらしてくる。(眠いわけではない)

これらは人間の本能的なものが引き起こす産物なのだろうか。夜は外的に襲われるリスクがあるから、不安になるようプログラムされているのか。そうだとしたらさっさと退化してほしいものだ。今時の日本において強盗が家に入ってくることなどそうそうない。敵はやらなきゃいけない仕事や課題、そして深夜の食欲とかだろう。

 

また夜の時間には1日の反省会みたいなのも行われる。正確にはそろそろ寝ようかと思い、布団に入った後である。寝ようとすると1つ2つぐらい今日の出来事が思い出され、やがては恥ずかしかったことや後悔したこと、または不安なことなど色々もうなんだのかんだの止まらなくなる。布団入る前にやれと毎回思うのだが、もう遅い。そうなってしまえば無限ループで思考を止めることができない。むしろ昼間の時間帯よりも活発に脳が動いている実感がある。本当に。そのときにブログ書かせたらきっと大作が出来上がる気がする。

 

あるあるだが、一人暮らしを始めてから夜に友人と電話する機会が増えた。一人暮らし最高!とか言ってた私でもこれだから、人間誰しも寂しがり屋なのだと思う。なんだかんだ付き合ってくれる友人には感謝しかない。こんな感じで夜は人間の弱い部分が出てくる時間で、その時間こそむしろ大事にしたい。夜に出てくる欲求や思いというのは心底から求めているものが多い。夜ぐらい誰かに頼ったり夜食に耽ったりしよう。


あしたからまた頑張りましょう。

TOEICの学習について

近頃リスキリングや自己啓発ブーム的なのが到来しており、特に社会人には人材市場の流動化に伴うスキルアップが求められているだろう。そこで役に立つのがTOEICの学習である。転職に有利で、ある程度のスコアを取るためにはそれなりの地道な努力が必要なため評価されている印象だ。資格自体にあんまり英語力で評価されているような感じはしない。
私は大学2年次の際がっつり時間を割いて800点ぐらいを取得したが、正直就活で使う目的がなければ続けられなかったように思う。

 

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これから学習する人へ

学生であれば短期集中でがっつり時間を割き、取り組むのをおすすめする。一方大変なのは社会人の場合だ。TOEICの学習ははっきり言って「面白みが全くない」。そのため地道に続けることが大変難しい。逆に続けていればおのずと成果は出てくる資格勉強だと思っている。
よって第一に考えるべきは、どうやってモチベーションを保つか。やる気とか調子なんていう予測不可能なものに頼っていては、ずるずると時間を取られ結局何も達成できなくなるオチが見えている。よって①目標を明確化する(何のために頑張るのか)②自分が学習できる環境を整える、この二点が揃っていれば大丈夫なはずだ。
モチベーションがあることと、それが実行できることは少し異なっている。このどちらかが欠けてしまえば、努力の才能頼りになってしまう。あくまでどのように実行するかを機械的に、自分なりのメソッドを確立するほかない。

 

意味のない努力はやめるべき

正直生半可な気持ちで挑む資格でもない気がする。例えばふんわりとスキルアップがしたいだとか、勉強している自分がかっこいいからTOEICやってみるみたいなモチベーションで続いている人を見たことがない。しかもそんな目的意識で資格勉強をするなら、はっきり言って時間の無駄だと思う。スキルアップするなら本業にもっとコミットした方がいいだろうし、勉強すること自体が目的となってしまうともうだめである。

最近のリスキリングブームに乗せられ、盲目的に資格勉強に取り組んでしまっているかもしれないと思ったら、少し何のためにやるのか考え直してみて欲しい。100%趣味なら全然いいのだが。

 

英語学習のきっかけとして

TOEICについて少し否定的な内容が続いたが、決してつまらないだけの資格ってわけでもない。TOEICでの英語学習をきっかけにリスニングができるようになった結果、例えば大谷翔平選手が所属するAngelsの英語実況の意味がわかり、更に楽しめるようになったり、洋画を見ているときに細かなニュアンスに気づくことだってできる。最終的に英語を使えることの楽しさはこういったことにあると思う。適宜資格勉強だけでなく、純粋に英語に触れる経験を大事にして欲しい。何よりそれが大きなモチベーションや達成感につながるし、英語そのものを学ぶ意義であるからだ。


近々TOEIC学習法について、できるだけありきたりなものを避けた記事を書こうと思う。

 

 

 

 

アベノミクスってなんだったの【原真人著:日本「一発屋」論より】

私自身日本の首相のイメージは誰かと聞かれれば安倍晋三と答えるだろう。それくらい長い期間日本における政治のリーダーとして存在し、世界各国からの信頼も厚かったように思う。

大学で経済学を専攻しながらも安倍政権にて始められた「アベノミクス」について触れる機会はあまりなかった。初学者にとって難しい部分があるからかもしれないが、自国の政治やその政策について理解がないのは大問題である。なぜなら、民主主義において「何も発言しない・意思表示をしない」ことは従っていると同義であるからだ。
日本のこれからに対する不安感や危機感を煽る報道や雰囲気が先行しているが、そんな今だからこそ「アベノミクス」を振り返っていこうと思う。

参考図書は経済ライター原真人氏の日本「一発屋」論である。

 

原真人著:日本「一発屋」論

そもそも

アベノミクスとは、2012年12月26日に始まった第2次安倍政権において、安倍晋三首相(当時)が表明した「3本の矢」を柱とする経済政策のことです。

最大目標を経済回復と位置づけ、
大胆な金融政策(デフレ脱却を目指し、2%のインフレ目標が達成できるまで無期限の量的緩和を行うこと)
機動的な財政出動東日本大震災からの復興、安全性向上や地域活性化再生医療の実用化支援などに充てるため、大規模な予算編成を行うこと)
民間投資を喚起する成長戦略(成長産業や雇用の創出を目指し、各種規制緩和を行い、投資を誘引すること)という3本の矢によって、日本経済を立て直そうという計画です。

https://www.smbcnikko.co.jp/terms/japan/a/J0594.html

 

アベノミクスは「3本の矢」というキャッチーな言葉とともに始まり、日本経済立て直しを目標に政策を実施していった。今回は特に①大胆な金融政策にフォーカスして述べていきたい。

リーマンショック以来、日本は(世界経済全体として)深刻なデフレに悩まされていた。ちなみにデフレとはモノの価値よりもお金の価値が上がってしまうことで、金融危機や経済成長の鈍化によって、人々がお金を使わなくなることで発生する現象だ。ちなみに2023年現在はインフレが進行して物価高が騒がれているが、この点は次の機会に述べていこうと思う。

 

どんな

元来続いてきたデフレを脱却するために政府が実施したのが、量的緩和政策である。簡単に述べるとお金を刷りまくることだ。市場に出回るお金が増えれば自然とお金の価値は下がり、モノの価値が上がる。こんな感じでインフレにしていこうよ政策だったのだ。ちなみに世界の主要各国でも同じことを行っていた。

文字面ではすごく合理的でいいじゃんという感じだ。
しかし問題点はある。お金を刷りまくり発行するわけだが、これはいわゆる国債にあたる。家計における借金の概念と異なる部分があるが、なるべくならない方が良いとされる。もしあまりに大量の国債を発行し、国債市場における信用が失墜すれば形は違えどジンバブエや戦後ドイツのようなハイパーインフレを引き起こす可能性は拭えない。

また、量的緩和に使われるお金は税収あるいは将来の税金を担保にした政府の借金と言うことができ、つまりは必ず将来世代に負担があるのだ。
このように多数の問題を孕んだ経済政策だったが、インフレ率と言う観点でその成果は長期的に見てほとんどなかった。市場にお金が出回りまくった(実際は日銀の当座預金に置きっぱなし)が、結果として消費は息を吹き返すことなく終わったのだ。

 

ついでに日銀元理事のインタビュー記事を読んだが、なかなかに衝撃的だった。
お時間があればぜひ一読してほしい。

webronza.asahi.com

 

総じて

つまりこの一連の金融緩和政策は、いわゆるヘリコプターマネーによる一時的なものだったと言える。また紙幣を刷りまくったことで、余った大量のお金はどこへ行ったかと言えば富裕層や投資家の懐である。株式市場には大量のお金が流れ込み、異常体温状態となってしまった。アベノミクスの結果円安株高が進行し、この点だけ見れば成功のようだ。しかし当初の目的は全く達成されず、持続的な日本経済の成長および、復活はなされなかった。これが著者の語る一発屋の所以である。

 

 
 

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どっちですか?は危うい【武田砂鉄著:わかりやすさの罪より】

本日ご紹介するのは偏っていた思考を真ん中あたりにより戻してくれた一冊である。
自分の中で伝える行為が、「端的に!わかりやすく!を意識しよう」というビジネス本のフレーズや就活での受け答えによる影響を受けていたのかなあと思った。

 

 

どっちですかの危うさ

世の中は良くも悪くもシンプルになってきているというか、特に二択を迫られるような質問や何でもはっきりさせようという風潮が増えている気がする。その中で筆者は二択で強制的に選ばせ、はっきりさせることの危険性を説く。


そもそも二択以外の場合もあるだろう。犬か猫どっちが好きかという質問に対し、どっちもそこまで好きではなくむしろアヒルが好きだという場合はどうすればいいのか。この例えはだいぶ強引だが、主張はこんな感じである。二択以外の選択肢を無意識下で排除してしまい、"わかりやすさ”を追求した結果、正確でない選択を迫られることは確かによくない。

ひろゆきYoutubeや論破系の動画でよくみられる、ずばっと的を射たような物言いがブームだが、あれもわかりやすさやインパクトを重視した結果によるもので、エンタメであることを忘れて真に受けてしまうと本当に危ない。これらの極論ブームと筆者が言うわかりにくさやあいまいさを残すことの重要性はまさに正反対で、特に情報あふれる現代社会において、はっきりと単一の情報や意見によって断言するべきではないと思う。

 

ちなみに今は猫派です

具体的に私たちが持つべき姿勢は、いわば強引さのようなもの。

他社の理解のために自分の思考を譲らない

 

筆者はこのように語っている。決して思考放棄してわからないと決めつけることとは違う。他社に対してより寛容さを持ち、人間関係における充実を目指すために、理解だけでなくわからないことを残すことが必要だということだ。またこれは相手のすべてが理解できるとか、きっと応えてくれるだろうといった傲りより、人間関係に対し謙虚な姿勢を持つことにもつながる。

正直この主張をそのまま実践すればただの自己中になってしまうが、わかりやすさのために自分の主張や思いを押し殺してしまうような癖がある人や言葉に対するこだわりを持っていきたいという方には実践する価値がある姿勢だろう。

今日は短いがここまで

 

 

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5月に読みたい本まとめ

少し気が早いが5月に読みたい本をまとめてみようと思う。
来月は就活も恐らく、願わくば落ち着いていると思うのでぜひ読書に勤しみたい。ジャンルを問わず気になった本を列挙していくが、ぜひ皆さんのおすすめ本があったらコメントで紹介してほしい。

 

この人の書く文章が好き

 

 

 

先月、武田砂鉄著「わかりやすさの罪」という書籍を読んだが、まずその個性的な文章が魅力的だった。著書は現代社会のわかりやすさを追求した故に発生する、言語的・文化的損失やそれを後押しする人々の姿勢に対して疑問符を打ったものだ。
文章が読み手の読みやすさを重視するよりかは、著者の思考回路や思慮の奥深いところまで文章を通して伝えようとしているのを感じた。つまり読んでみてわかりにくかったということだが、それこそまさにこの著書のコンセプトである。

 

「父ではありませんが、第三者として考える」は最近出版されたものらしく、著者の実生活を覗いてどんな考え方をしているのか更に知れるような気がするため、読んでみるのが楽しみだ。

 

 

なんだか難しそう

 

 

 

複雑系という学問領域を知ったのは脳科学の勉強をしていた頃だ。複雑系とは従来の物事を細分化し、そこにあるものを明らかにすることで発展してきた科学とは全く考え方が異なる分野である。脳や宇宙、はたまた魚群がどんな動きをするのかなど、細分化するだけでは理解ができない事柄について考える上でうってつけの学問だ。多分難しいと思うが「入門」とのことなので、コツコツ読み進めていきたい。

 

 

今月の脱線本枠

 

 

毎月本を一定数読むが、毎度興味関心の全く外にあった本を1冊選ぶようにしている。今月はこの「不自然な死因」。解剖の話から始まり、恐らく人生観や死について考えるきっかけになるのではないかと思っている。また、こういう本を読んでおくことで意外な興味関心の発見があったり、自分の幅が広がったような気がするので脱線本を読むことはおすすめである。

 

 

小説枠

 

 

あまり小説を読む派ではないが、昔から朝井リョウさんの作品はよく読んでいる。その中でも短編の小説「もういちど生まれる」が古本屋にあったので購入してみた。朝井リョウさんの魅力はその独特な文章と細かな心理描写だと思う。就活をするにあたり久々に「何者」を読んでみたが、大学生として少し共感できるような部分があった。小説ジャンルにあまり精通していないのでおすすめの作家さんがいたらぜひ紹介して欲しい。私の場合は学術系の本を読んだ後リラックスタイムとして小説を挟むことが多い。

 

上記の本以外にも読むつもりものはあるが、正直つまらないとか合わないと思ったら読むのをやめてしまってもいいし、流し読みもありだと思う。それ以上に面白い本は溢れているので、しっかり没頭できる本に出会いたいものだ。

 

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不幸なのは本当に自分のせい?

少し気分を害される方もいるかもしれないが、先日Twitterで学生が自殺をする動画が出回っており、私はその動画を目にしてしまった。その動画はもともとストリーミングサイトにて配信されていたものだったという。あの手の動画や画像は受取手によって精神的な苦痛やトラウマを植え付ける危険性があるため、ネットに触れる間は新手のテロがあるかもしれないぐらいの気持ちでいる必要がある。またセンシティブなツイートやサイトのブロック機能をオンにしておくことをおすすめする。

 

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話はそれたが今回の記事で言及したいのは自殺の是非ではなく、Twitterに溢れかえっていた「自己責任」という言葉である。
正直私はついこの間の高校生ぐらいまで、自殺や過労死をする選択に迫られてしまう人々の心情がよく理解できていなかった。まず他人の視点に立って考える想像力が大いに欠如していたと思う。少しばかり社会に頭を突っ込んでみて、いろいろな人の人生を覗けたことで、自分以外の境遇について考え想像できるようにはなった。いわゆる若気の至りで擁護できるのはここまである。

自殺した人に対して自己責任だろと言うのは些か配慮に欠けていることに加え、自分の人生に傲り高ぶりがあるのではないかと思う。
特に最近は能力主義と言われる社会が到来し、人々の思想もそっち寄りになってきている気がするのだ。私がここまで健康に生きてこられたのは本当に私だけによるものか?もちろん頑張ったこともきつかったこともある。しかしそんなものは一握りにすぎない。周りの人間や環境によって今日この日まで生きてこられたのであり、能力主義に偏りすぎるあまり、そこを決して忘れてはいけない。

 

不運な人に自己責任と言い放つ人は、例えば古来の奴隷が是とされていた時代に生まれていたら同じことが言えただろうか。先ほど想像力と言ったが、その人がどんな思いを持って生き、どんなに壮絶な環境に身を置いていたか考えることは可能だが限度がある。最も必要なのは自分の人生は自分以外の要素によって支えられていると自覚することだ。
このまま能力主義のような社会が成熟していけば、自ら命を絶つ人はどんどん増えるだろう。なぜなら上手くいかないのも不幸なのも自分のせいだからだ。
そうではなく、決して自分のせいなんかではない。むしろ上手くいっている自分は幸運で、その分運悪く厳しい環境にいる人に対し手を差し伸べる心が必要だ。

最近は能力主義に対して懐疑的に思う事柄が身近に多かったため、マイケルサンデルの著書を読んでいる。彼の考え方は面白いし、現代社会の若者はぜひ読むべきだ。大衆の気運の波にのまれ、思考が凝り固まってしまう前にぜひ手に取って欲しい。

 

 

 

 

 

どんな基準で本を選んでる?

この記事はネットで書籍を購入する人にとって、少し実感が湧きづらいかもしれない。しかし私を含め書店で本をじっくり選ぶ人にとって、また読書ライフを満喫する上でも重要なのが本選びである。ここは避けて通れない。

 

ウィキペディアの無料イラスト

 

そもそも読書という行為の楽しみの中に書店での本選びが含有されているのだ。すでに書店で気になった本を手にして物色しているときから、読書は始まっている。私はその瞬間が結構好きだ。しかしなかなか本題に入らないのもまどろっこしいだろう。いつかは書店の本棚から数冊を買って帰らなければならないのだから、私たちはある程度の本選びの基準を持っておいてもいいはずである。
今回は私なりの本選び基準・大事にしていることを紹介したいと思う。

 

1.目次はさらっと見る派

本選びにあたり、目次は先に目を通しておく派である。なにより書棚を見たときに印象として強いのが表紙だ。特に斬新なデザインであったりとか、カラフルな装飾、高級感のあるカバーなどがついていると、ついつい手を伸ばしてしまう。
また、それはタイトルも然りである。強烈な文言や目を引くような角の立つフレーズなどはマーケティングとして現代の書籍デザインに取り入れられているものだ。
これらの派手な本を手に取る際にありがちなのが、見た目で選んでしまうこと。

派手な本に限って購入して実際に読んでみたら、思っていた内容と違っていただとか、あんまりおもしろくない内容であることが多い。(偏見の可能性あり)
よって目次にさらっと目を通して、興味関心をひかれるチャプターがあるか、またそこそこに読みごたえがあるかなどを確認することは大事だ。
また目次をさらっと読む際に、この本のテーマや主張はなんであろうかと考えてみるとさらに面白くなる。著者の主張に一貫性があるかどうかやテーマを知ることでチャプターのつながりが見えてくる。

 

2.著者プロフィールは意外と大事

本の帯に書かれていることが多い著者プロフだが、本のクオリティを担保する上でも確認は必須である。〇〇大学教授とかが大半だが、たまにライターとか自称経済学者とかが書いた書籍もみられる。もちろんそこを見なければ、初学者にとって本の内容は大半が正しいと思ってしまうだろう。特に初めて学ぶジャンルの書籍購入の際は、内容の真偽・クオリティの担保のためにも権威ある著者の書籍を選ぶことをおすすめする。

 

3.一極集中とたまに冒険

私は知的好奇心を満たすために読書をしている。そのため気になった本や面白かったなと思う本のジャンルについて、読了後に数冊一気に買うことが多い。感覚だと4~5冊読めばそのジャンルについてそこそこ詳しくなれると思っている。最初に読んだ本で説明されていたことを再度復習できるし、わからなかったことや疑問に思っていたことが書籍が変わることで解消したりする。そんなことを繰り返すことでにわかを脱出できるのだ。
しかし、しばらくあるジャンルの本を読むと飽きてくる。人間だもの。そんなときは冒険してみる。そこで書店の出番である。
書棚は知的好奇心を大いに掻き立ててくれる。自分の知らない知識や知ってはいるけど深く考えたことがないようなことが目の前に広がっているのだ。ここまで来れば自分の好きな本を手に取って数冊購入してみる。むしろ自分が選んでこなかったジャンルを積極的に選んでみることをおすすめする。出会いは偶然や意外性の中から生まれるものだ。

 

こんな感じで本選びを語ってきたが、やはり本を読む目的は「楽しむため」である。もし合わなかったり、退屈だと感じたら読むのを積極的にやめてほしい。人生は有限だし、そのうちに読める本は限られている。ぜひ楽しさを求めて書店へ足を運んでほしい。

 

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